2007年02月15日

仮定の未来を晒す意味

 
他家がアガった時、流局した時などに、自らが次にツモる予定だった牌や、
裏ドラ表示牌をめくって見る人が居る。
また、ノーテンであったにも関わらず、自らの手を晒してしまう人も居る。
これは、落ち込んでいる自分の気持ちを更に落ち込ませ、次局以降の動揺
に繋がるだけのような気がするのは、私だけだろうか。


私は、必要以上に自分の手を、他家には晒したくないと考えている。
晒す事によって、自らの癖や待ち、役作りのパターン等を、他家に悟られてし
まうからである。
ただでさえ、アガった時と聴牌した時には手を晒さなければならないのだから、
ノーテンの時にまで晒す必要は無いように思う。


次にツモる「予定だった」牌や、裏ドラになる「予定だった」牌を他家の眼前に
晒す事も、同じような事だと言える。
次にツモる「予定だった」牌でアガれていたり、裏ドラが3枚乗っている「予定
だった」事を知ってしまったりすると、落ち込み方も倍増する。
冷静さが失われれば、次局以降の手作り等にも大きく影響する。
読みの失敗による放銃や、鳴くべき時に鳴かなかったミス等は「教訓」として
記憶しておかなければならないが、そうした事が無いのであれば終わった局
の事は即座に忘れ、次の局に臨んだほうが、余計な動揺を抱えなくてすむ。


それでも、牌を晒してしまう人は、弱いのだろうか。
それとも、牌を晒すだけの余裕があるという「強さ」の顕れなのだろうか。
 
posted by neji at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 雀闘記(雀荘) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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